奈良県曽爾村の高原野菜

奈良県曽爾村の高原野菜

生きるための選択、
林業から農業へ生業を変える

曽爾村は昔、林業が主流だった。「山いき」と呼ばれ、間伐や枝打ちなど、山を生かす仕事を生業としていた。中には、冬に林業を行い、夏に農業を行う、いわば農林業の暮らしをする人も少なくなかったという。しかし、ライフスタイルの変化に伴って材木の需要は低迷し、林業はどんどん衰退していった。その結果、曽爾村の村民たちは生きるための手段として、林業から農業へと生業をシフトしていかざるを得なかった。

昔は、村民のほとんどが林業をしていたが、現在では(仕事で)山に行く人はほとんどいない。現在の林業の収入は、いいときの1/10ほど。その背景には、ライフスタイルの価値観が変わり、日本建築の家が減少していることが主な理由である。

夏は涼しく冬は寒さが厳しい
“奈良の北海道”曽爾村が生かす農業

標高が高く、平均気温が13℃と夏でも寒暖差がある曽爾村では、その特殊な気候の恩恵を受け、様々な作物が豊富に育った。農業と林業共に盛んだった時代は、米作りを中心に、しいたけやえんどう豆、ヤーコン、芋類のほか、たばこや炭など多品目にわたり栽培・加工して出荷していた。しかし、林業が衰退、農業へとシフトしていく中で、少量多品目では収入が安定しなかったため、夏の涼しい気候を生かした主力の作物として、ほうれん草やトマトなどの高原野菜に力を入れ始めた。

昔は、男性が山へ行っていたので、女性が中心となり、畑の世話をしていた。その中で、トマトは重量野菜であるがゆえに、重労働であったそうだ。また、当時ハウスではなく路地で栽培していたので、病気になりやすく、年1回の作付けしかできないため、そのリスクは大きかったという。

曽爾村が育む高原野菜ブランド
「ほうれん草」と「とまと」

ほうれん草は、元々夏場だけ作付けされ、“暑さに強いほうれん草”として出荷されていたが、農業の移行に伴い、冬にも糖度が上がる「大和寒熟ほうれん草」として売り出し、年中通して出荷されるようになった。とまとにおいても、夏場の涼しい気候で育つ食味の良い「曽爾高原とまと」として、7月初旬から10月中旬頃まで収穫・出荷している。その他、ほうれん草の作付けの合間に育てられる水菜、菊菜、小松菜などの葉物類にも力を入れる。

美味しさと技術を
なんとか未来につなぐために

約20年前の最多期には、ほうれん草農家で約60軒、とまと農家で約30軒おり、売上は安定していた。しかし、高齢化や後継者不足などを理由に農家は少しずつ減少。それをなんとか未来につなげようと、村内の農家が集い「曽爾村ほうれん草部会」と「曽爾村とまと部会」が発足。現在では、地域おこし協力隊など若手たちも参入し、曽爾村ブランドの高原野菜を守っていくため、共同出荷している。

知ることで食がもっと身近になる